どんどん加速する建築業界

建築法違反になってしまい

家の問題点について指摘五畳半は四畳半プラス1畳、その一畳は板の間になっていて、そこへ炊事のための七輪や石油コンロなどを置いていた。
つまり、その五畳半一間で寝もすれば、ちゃぶ台を出して食事もするというワンルーム生活です。その頃は間取りもへったくれもありゃしなくて、一つの部屋でなんでも事足りたから、まさに江戸時代の長屋と一緒でした。それで困ったかと言えば、ちっとも困らなかった。そこで五人も八人も子供をつくっちゃ産んでと、いまではびっくりするような生活を送っていたらしい。
もくちんその後、公団住宅というものがたくさんにできて、いわゆるDKダイニングキッチンというライフスタイルが創成されて、それまでの畳の部屋にちゃぶ台を出してモノを食うような姿は一掃されてしまった。また、農村でも新生活運動というものが行われて、台所を明るくしましょうと呼びかけて、農家に椅子とテーブルの生活を薦めていった。その結果、農家でもLDKのスタイルが普通になってきた。
つまり、昔に比べていまは、それぞれの部屋というものが、あきらかに単機能化してきたというわけです。
重複機能をもっている部屋はいまの家にはほとんどないと言っていい。そして、一つひとつの部屋が、台所食堂、居間といった機能に限定されてきたために、だんだん家が大きくならざるを得なくなってきたんです。
修繕積立金を値下げすることが必要だと判断

マンションの場合

その背景には、日本人がある程度豊かになって、大きい家を造ることができるようになったということもあるけれど、家族が三、四人となれば三LDKは必要だ、一戸建てになれば四LDKは必要だというような基準ができてきて次第に家が大型化するようになったのでしょう。
けれども、実は、三LDKや四LDKという括り方には、一つひとつの部屋の機能について突き詰めた考え方がない。リビングの他は、だいたい一部屋が、六畳とか八畳の大きさになっているという目安でしかない。
こういう汎用のスペースの集積ということだと、あとからそれぞれの部屋の機能を考えるということになって結局理想の家造りからはちょっと遠いやり方だという気がします。本来はまず、主体的に、一つ一つの部屋についてのコンセプトがあって、そこから部屋の位置、大きさ、形などを割りだしていくべきなのですたとえば私の場合、まず広い書斎なり書庫なりというものを造りたいという思いがある。しかもその機能を考えると、壁がいっぱいあったほうが本をたくさん置けるから、開口部の大きな真四角な部屋よりも、壁の多い細長い部屋がいいし、静かな陽の当たらない場所がいいとなると、北向きのしかも1階というのが正解になるかもしれない。マンションの住民からも紹介があり今度

不動産屋さんにはある


出来合いの0LDK式の発想では、その機能による部屋の作り分けということが疎かになってしまいやすいこの考え方からすれば、家を造るときには、まず三尺六尺八畳六畳とかいうようなモジュールに囚われないで、もっと自由に発想したい。すでにそういう住宅もできてきているけれど、たとえばまた廊下なんかでも三尺モジュールではなくて、1メートルモジュールによって設計したほうが、なにかとゆったりして都合がいいということになるかもしれません。既成概念の枠を外すこと、なにしろ、いまの家はツーバイ·フォーなどの工法の発達によって、構造計算も簡単になったし、モジュールからの離脱もさして難しいことではなくなってきています。
まず家の単位から始めて、すべて自由に、合目的的に発想しなおしたいというのが、私の一つの提案です。
住まいを続ける武士も増えてくるけれど

住宅会社の判断基準を改めなければならない事

追加工事がある場合の竣工について
家の中心に厨房をでは、家の中心に、なにがあるべきかたとえば、昔の家の中心は茶の間だった。
広さからいうと、八畳ぐらいで、神棚があって、火鉢が置いてあって、いつもお湯が沸いていた。皆がいつでもお茶を飲めるようになっていて、まさに茶の間だったのです。
一家はいつもそこへ集まった。
これを現代の言葉でいえば、つまり居間のことです。だから、やっぱり家の中心はLDKじゃないかと思う人が多いとは思いますが、よく考えてみると、常に居間に皆が集まっているわけではありません。だいたいが昔のように一家揃って団欒、という生活そのものが曖昧になってきていて、もっとばらばらな家族というのが当たり前になってきているかもしれない。
そこで思うに、これからの家の中心は、居間ではなく、厨房ではないでしょうか。
これはとても大事なこと修繕費用

住まい全体が木に囲まれている

家庭において、なにが一番大事な行いかというと、やっぱりメシを一緒に食うということであろうと思わずにはいられない。家の中で料理をしないで、店屋物ばかりとっているとか、外食ばかりしているとなると、だんだんと家庭そのものが成立していかなくなります。やはり、料理を家の中で作って、それを一家で食べるということがあってこそ、家族の融和とか結束とか愛情というものができてくるんだと思います。
家族の幸福というものは、なにも住宅メーカーのコマーシャルのようなものじゃなくて、もっと形而下的に皆で一緒に料理を作るとか、一つの鍋をつつくといったことによって、育まれていくものなのです。とくに核家族で共働きの場合は、毎日毎回いっしょに食事というのは難しいかもしれません。けれども、いっしょに食事を作って食べるという何気なくも温かみのある感覚は、とくに子供にとって、ひじょうに貴重な無形の財産です。そこが、まさに子供の人間形成にかかわってくるのです。そういったことが自然にできる場の中心として、いまの時代、厨房の担っている意味は、限りなく大きいと見ていい。昔みたいに、厨房は家のどん詰まりの奥にあって、そこには、家の主人は立ち入らないなんて、そんな時代ではありません。
家計の負担が軽く

建築が好きになる事が大切だと思い

家電メーカーに対して
厨房が、奥向きではなくて、もっと表向きの場所であるべきだというのが、私の持論です。
私が、イギリスの家で学んだたいへん重要なことのひとつとして、にあるということがあります。
イギリスの厨房は必ず景色のいいところイギリスの主婦は、洗いものをしたりしているときに、窓から庭が見えないと嫌だと言います。だから、台所1という意識に慣らされている日本人から見れば、不思議なほど、必ず庭の見える明るいところに厨房があります。そこで自分が手入れをした庭をときどき眺めながら、台所仕事をやるということになっているのです。
なにしろ、昔の日本では、厨房というものは1等奥まった薄暗いところにあって、土間で、冬はとても寒かった。昔の女の人たちは、まっ暗で、ナメクジなんぞが出るようなじめじめしたところで、下駄を履いて台所仕事をしていたのです。それでいて、どうかすると、南の一番よく陽の当たるところに玄関を造ったりするこれが日本的な奥·表の感覚だったわけです。
しかし、これからは、もうそういう意識はすっかり抛擲したほうがよいと思います。やはり、イギリスのように、一番景色のいいところに厨房を造り、そしてそこを中心にみなが物を食べにあつまる部屋を、家の中心として発想する、というのが、望ましい考え方だろうと思うのです。