建設現場の隣で始

施工会社の目から見れば

修繕計画で設備の更新が必要となってい
住宅はメンテナンスをしながら住む

商売人は商売人同士で、職人は職人同士で婚姻関係を結び、身分が変わることなどなかったから、ある意味では、安定した社会だった。
ところが、明治に入って、四民平等になり、だれもが出世競争に参加できるようになった結果、人生究極の目的は末は博士か大臣かというような一元的な価値観に支配されるようになってしまった。いい学校に行って、いい会社に勤めるなり官僚にでもなるなりして、出世をする。そうしたらやがては大きな家に住めるという幻想が生まれたしいた祖先が士農工商で虐げられ、我慢を余儀なくされていたのが、世志向、言い換えれば成り金趣味になってしまったこともあって、めていないというところがある明治になって急に身分が解放され、皆が出われわれの家屋観はいまだにその夢から醒一国一城ということは、本当にそんなによいことなのかどうか。つまり、東京のようなところだったら、一国1城の主になるには、膨大な借金をしなければならない。果たしてそんなに借金をする必要はあるのかいや、それでも家を造りたいという人たちのためにこの本はあるのですが、だからこそ、もういちどここで、果たして膨大な借金をしてまで自分が住みたい家があるのだろうかという根本から考える必要がある一国一城の主といっても、その実は、多くは建て売り住宅を買う、またはマンションの一室を買うということに過ぎないのですから、洋服でいえば吊るしの既製服を着ているようなもので、結局お仕着せの間取りとインテリアの中で住んでいくことになるのです。
建設現場の隣で始

建築として有名である

そして、そのために何千万もの借金もしていかなければならなたしかに出来合いの家は安いから、それをばっと買うのはお手軽ですが、だんだんと飽きてくるといったことも大いにあります。だからこそ、同じ借金をするのなら、本当に自分の住みたい家はどういうものかということを、一から考えておくべきだ、というのが私の提案なのです。

仕事観が住まいを決めるたとえば、小さな土地を買って、小さいなりに工夫を凝らした家を造るのもいい。自由業の人ならば、都心のほうに仕事場を別に作り、家は、多少不便でも郊外で緑が多いところに住むという生き方もいい。また、都心から離れたところにやや広い土地を買って職住分離という生き方を意識した家を造るのもいい。その際余裕があれば、仕事場に近い都心にワンルームマンションでも借りて、ウィークデーはそこから通勤するとなお便利でもある。
このように、自分の様々な生活パターンやオプションを広く考え、自分がその家に住むにあたってのコンセそれから大切なお金を投資していくべきだと思いますたとえば会社から電車一本で行けて、駅から徒歩十分以内だとか、子供の学校も乗り換えずに住むといったプトというものを設定して、利便性で住むところを決めても、その会社が潰れたらどうなるのでしょうか。

暮らしをイメージし家

この不確定な時代です、したら、良かれと思って建てた家がすごく不便になってしまうかもしれませんもしかあるいは額に汗して家を造った途端に、会社から転勤を命じられたらどうなるのか。
せっかく造った家を売るか貸すかしなくてはならないではありませんかだから、家を造るということは、自分がどんなふうに仕事を捉え、それとの兼ね合いで、そこでどういう生活を送りたいのかということを考えることが、まずもって頗る大切なポイントになってくる筈です。
すなわち、会社は会社なんだ、自分の生活は自分の生活で、会社とは無関係の空間だと考えて、その方向で家を想定すると、会社に近い必要はないかもしれない。
都心からかなり離れた丘陵地の美しい林の中に、自分の思ったとおりの家を建てて、その中で自分が快く気持ちよく暮らすことが、自分の人生の一番の中心だ。会社へ行くのは単に金を稼ぎに行っているので、あれは自分の人生の目的ではないと思うのか、それともいや、自分にとっては会社がすべてなんだ。家なんかただ寝に帰るだけのところで、大して意味はないと思うのか、その違いによって家のロケーションから建て方も全然違ってくると思います。
やっぱり人生というのは、それぞれ一人ひとりの個人のものだから、会社のような営利組織に、その人生すべてがインボルブされてはなるまいぞ、というふうに思っておかなければ、これからの時代は生きて行きにくいのではありますまいか。
家を購入するのはお薦めできません

間取り図を渡される経験があり家族五人

そうすると、たとえば家を造った、それと同時に、「自分はもう出世幻想は捨てる」と覚悟してもいいはずです。で、「自分は転勤しません、その代わり出世もしません」と宣言する人生を選び取るということがあってよい筈です。
あるいは、この際会社から足を洗って、自分の会社を興そうとか、SOHOのようなかたちで自宅で働いていこうというのもいいでしょう。なにか特技のある人、たとえば昔から木工が得意だから、東京から離れたところに工房を建てて、こつこつと手作りの家具を作って暮らす、そんな風の生き方を選びとってもいい。
とにかく家を建てるということは一つの覚悟なのです。
その覚悟なしに、不動産屋の広告に踊らされて、ここは便利です、見晴らしがいいですよ、みたいなことで辛い人その借金を背負うために何もかも犠牲にしてしまうということだったら、安易に家を造ってしまって、生ではありませんか。

住宅史の中でよく知られた朝日住宅展
住まいそのものを洋風につくり替えなく

工事を順調に実施している

工事が始まった完成後の出来ばえはどうだろう自分自身の家を建てると同時に自分自身の生活のありようを思索するということがひじょうに大切なこととして押さえておかなければいけない。家を造るという一大事を好機として、自分自身の仕事や生活のあり方、つまり自分の人生そのものについて、じっくり思索を巡らしておくべきだと思います。

理想は茅葺きITハウス·図書館付き般論ではなくて、私自身のことを言えば、それじゃ自分はどうだろうと、自由業の作家業ですから、どこか遠いところで、思ってみる。
どこにいても仕事ができます。
茅葺きの平屋に住んでみたい。
本当のことを言えば、もう東京には住んでいたくない。
くて済むところに住みたいとなれば、また、夏でも冷房をしな先ほど言ったように、八戸周辺というのが一つの理想です。
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家を買うという子供に対して

けれども、仕事上、ハイテク機器類や蔵書は、やはり何をおいても必要です。
「茅葺き平屋ITハウス·図書館付き」というものになる。
そうすると、私の理想の家はやはり、IT化ということによって、非常に大きく世の中が様変わりしていますから、こういうことも、現実になる可能性が高くなっているはずです。いままでは東京近郊に住んでいないと、なにもかも不便だったのが、明らかにそうではなくなってきています。
たとえば岡山に移住された紀田順一郎さんの語られたところを聞けば、なにかを書くについて、調べごとをしようと思った時に、入院中であったにもかかわらず、ベッドの上でインターネットを駆使して、たいていのことは調べられたそうです。ノートパソコン1つあれば、原稿を書いてメールで出版社に送り、病院のベッドの上でさえ、十分仕事ができるというのはたいへんな驚きだったとおっしゃっていました一般の会社員でも、かならずしも会社に行かなくても仕事ができるという人も少ないけれど現れてはきている。昔みたいに、ただひたすら会議をするために会社に行かなければならないということは、だんだんなくなっていくというのが趨勢でしょう。となると、自分がこれからどういうかたちで仕事をしていくかということも考慮して、そのなかで家というものを位置づける必要があります。